日居月諸

書き手:吉田勇蔵          ブログ「月下独酌」もご高読賜りたく http://y-tamarisk.hatenablog.com/  twitter@y_tamarisk

岩田温著『人種差別から読み解く大東亜戦争』を読んで考えたこと

 今年も8月のTV番組や映画は昭和の戦争を回顧するものが多かった。例年以上に多かったというべきかもしれない。70年目という節目の年であるからだけでなく、国会で審議中の平和安全法制整備法案への反対の声がマスコミ主導によって盛り上がっている流れのなかでの現象だろう。
 私はそれらの番組を見ていないのだが、当時の日本の指導者の迷走と戦場の悲惨さや兵士の苦闘が語られたのだろう。そして銃後の人々の辛く苦しい生活、さらには空襲、原爆投下による惨劇に至ったことも語り継がれたのだろうと思う。
 日本は好戦的な軍人や愚かな政治家のせいで間違った戦争をした、アジアの人々にひどいことをした、そして人々は昭和20年8月15日にようやくその苦しみから抜け出せた、という定番の史観が毎年8月にTVから流れてくる。NHKの歌番組では、「りんごの唄」が日本の津々浦々で唄われた戦後の明るい世相を映し出し、最後に出演者一同が「青い山脈」を斉唱する。今年もきっとそうだったのだろう。
 平成の御代に暮らす日本人の多くは、昭和20年8月から現代が始まったと考えている。それまでは過ちの時代なのだそうだ。
 このように過去を切断してしまった人たちには、21世紀の今日という世界が正しく認識できるわけはないのである。安保法制改定案に対しての、各種世論調査では国民の大半に漂っていると思われる、愚かな情緒的反対の声がその表れである。

 

 岩田温氏の近著『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)は、戦わざるを得なかった昭和の戦争を、当時の日本人の視点に立って捉えようとした好著である。
 著者が「まえがき」で書いているように、「歴史とは様々な原因が複雑に絡み合って生じた出来事であり、たった一つの理由だけで、大東亜戦争を説明できるはずが」ないのであり、「人種差別」の問題だけが戦争勃発の要因ではないと断わったうえで、本書では「人種差別」に対する日本人の憤激に照準を合わせて戦争に至る政治の流れが語られている。複雑に絡み合った要因のなかから「人種差別」の問題に焦点を絞ったのは、当時の大衆がなぜこの戦争を支持したのかという点に著者の問題意識があったからだろう。
 「人種差別」の宿痾を考察する著者の視野は広い。古代ギリシアでの奴隷制擁護論から始まり、キリスト教徒がグローバルに展開した先住民の虐殺と奴隷化、そして近代の帝国主義の時代にあっては白人の過酷な植民地支配等々が各章で生き生きと語られる。
 キリスト教精神に基づく白人の独善と有色人種からの収奪や蛮行が世界を覆うなか、アメリカでの日本人移民に対する排斥感情の高まりと理不尽な差別的法律の施行に直面して、日本本国でも国民は憤激する。それ以前の三国干渉で受けた屈辱もあった。私憤が公憤となり、政治を動かす。しかし国際政治の場で日本が主張した「人種差別撤廃」は受け入れられなかった。後年日本はアジアの白人からの解放を謳って「大東亜会議」を主導する。
 対米英開戦時や戦時中に日本人の多くは日本の戦争を支持していた。そのことは今の日本人も一応は知っている。そして今の日本人は言う。「彼らは騙されていたのだ。徴兵され戦地で命を落とした人たちも騙された被害者で、可哀そうに犬死にだったのだ」と。
 今の感覚で歴史を裁断してはいけない。その時代を生きた人々の生活実感に想像力を働かせなければ、けして歴史は見えない。
 白人が支配する世界への憤激、この感情が当時の日本の大衆に広く共有されていたことを岩田氏の叙述は明らかにしている。騙されて憤ったのではない。
 学校では教わらない歴史である。本書が多くの資料と学識に裏付けられていながら、著者の語り口は平易である。若い人たちに読んでもらいたいという著者の願いがこもっているからだろう。若者は著者の真摯な願いに応えなければいけない。

 

 さて、戦争に至った様々な要因の絡み合いのなかで、「人種差別」の問題にだけスポットがあてられたのだが、それはそれで、ある一つの問題の考察という意味で意義がある。ただその場合にも、一つの問題を多面的に考えることが大切だろう。その点、本書は一面的である。
 例えば著者は、第一次大戦後のパリ講和会議で、設立が計画されていた国際連盟の規約に「人種差別撤廃条項」を挿入することを目指した日本代表団の懸命の努力奮闘ぶりを描く。当該案は幾度か跳ね返され、妥協案を練り、しかし最終的にウイルソン議長(米大統領)の理不尽な処決によって潰されてしまう。著者は日本の交渉努力と参加諸国の冷ややかさを描き出す。一面の真実である。
 だが、講和会議全体を見れば日本はほとんど蚊帳の外に置かれていて、会議中も日本代表は沈黙に終始することが多く、ついには主要五大国のうちの他の四国から邪魔者扱いをすら受けていたのだ。大きな国際会議の場での不慣れや、本国と代表団の意思の疎通の煩雑さ等によるものだったが、本質的には、会議で参加諸国家間に共有されていた大戦後の国際情勢への問題意識と、日本の問題意識がずれていたことが原因だった。日本は大戦の主要戦場から遠く離れていて大きな被害もなく、未曽有の巨大な戦禍を被ったヨーロッパ諸国が共有した問題意識を持てなかったのである。
 日本の「人種差別撤廃」の訴えは、人道的見地からまことにもっともな主張だったが、他の議題についていけないその姿は、後年の国際社会での日本の孤立を予感させるものであった。
 今も新しい読者を獲得し続けている超ロングセラー『国際政治』(中公新書・初版1966年)で高坂正堯は書いている。「戦前の日本外交の失敗は、国際政治に対する日本人の想定と国際政治の現実とのずれに根ざしていたのである。」(傍線は原文では傍点)と。

 

 戦争中の昭和18年(1943年)11月に東京で開催された大東亜会議について、岩田氏は、人種平等の理念と植民地解放の大義を掲げた世界史的意義を持つものとして評価する。岩田氏は、東條英機首相が主宰した大東亜会議を、それ以前に外交官重光葵が『手記』で著した東洋の解放と民族自決の理念にフラットに並列させている。だが私はそこに段差があることに関心を向けざるを得ない。
 1941年8月にルーズヴェルト米大統領とチャーチル英首相による共同宣言が公表された。大西洋憲章である。憲章は戦争の目的と併せて戦後の世界秩序を展望する宣言であり、民族自決の理念も謳われていた。しかしその理念はヨーロッパでの民族自決にとどまり、けしてアジア・アフリカの植民地に及ぶものではなかった。
 これに対抗して重光葵は、東洋の植民地解放、人種平等、民族自決の理念を掲げる大東亜憲章策定の必要性を訴えたのだ。重光の考えた共栄圏内の連帯は各国の平等を前提とするものであったが、現実に政府が打ち出した大東亜共栄圏構想では、戦争遂行のための資源確保を第一の目的とした日本による共栄圏支配の意図が明らかであった。例えばインドネシアはこの会議への参加を拒まれた。産油国インドネシアを「帝国領土」から解放することを、たとえ建前上であっても、日本の軍部は許容できなかったからである。
 もちろん国際政治は綺麗事だけで済む言葉の遊び場ではない。あくなき国家利益の追求行動が常に人類普遍の理想主義の装いをこらしているのである。「人種差別」に対する国民の憤激も、重光葵の問題意識も、人としての真情から出たものである。その真情を吸い上げて権力のイデオロギーに転化するのが政治の常である。古今東西たいていの権力イデオロギーは、人々の素朴な欲求が吸い上げられて物象化されたものを含んでいる。
 上に書いた重光の大東亜憲章への理念と日本政府主宰の大東亜会議の間の「段差」とはそういう意味である。
 ならば大東亜共同宣言に結実する大東亜会議の精神は、権力政治としての国際政治の次元で捉えなければならない。その次元で大東亜会議を理解するためには、日本が日中戦争の泥沼化と国際的孤立化のなかで南進作戦を採り、ついには対米英開戦に至った延長線上でこの会議を捉えるべきであり、単に「人種差別」の問題ではないのである。その線上では、第一次大戦後のパリ講和会議に始まる戦間期に見られた日本政治の国際感覚の欠如もしくは “ずれ” が一貫している。
 『人種差別から読み解く大東亜戦争』でスポットをあてられた「人種差別」の問題を多面的に捉えるとは、「人種差別撤廃」の主張が国際政治への認識の “ずれ” のもとで叫ばれたという悲しさを知ることでもある。

 

 この本は若い人たちにたくさん読んでもらいたいと思う。日本の戦争には、日本の視点から見た大義があったということを知ってもらいたい。そのうえでしか戦後70年は語れないのである。昭和20年8月を始点として現代があるのではない。
 良い本を読むと、著者との対話を通じて自分の考えを深めることができる。どれほど素晴らしい本であっても、著者に盲従してはいけない。考える機会をもたらしてくれる本が良い本なのである。と、若い人たちに言いたい。 (了)