日居月諸

書き手:吉田勇蔵          ブログ「月下独酌」もご高読賜りたく http://y-tamarisk.hatenablog.com/  twitter@y_tamarisk

死の宇宙に浮かぶひとときの生

 昨日、東京藝大美術館で、『ヘレン・シャルフベック ― 魂のまなざし』展を鑑賞した。シャルフベック(1862~1946年)は母国フィンランドの国民から最も敬愛されてきた画家である。

 シャルフベックの絵を観た後に思い浮かぶ言葉は、「傷」「黒」「子供」「生命力」「死」などである。

 展覧会場に入って最初に展示されているのは15歳のときの作品で、髑髏(どくろ)の上半分を描いた『静物』(1877年) だ。そして2番目が『雪の中の負傷兵』(1880年) で、雪原でかしいだ枯れ木にもたれて横たわる若い兵士の姿が描かれている。目はうつろで生の気配が感じられない。

 シャルフベックの生い立ちは厳しい。一家は貧しく、両親は3人の子供を次々に失っている。死は幼い頃から彼女の身近にあった。彼女自身3歳のときに階段から転落して重傷を負い、そのときに受けた心の傷も体の傷も一生の持ち物になってしまった。

 死のイメージはシャルフベックの作品の基調低音になって鳴り響いているようだが、そのうえでの命の輝きが鮮やかに表現されている。彼女の絶頂期の作品『黒い背景の自画像』(1915年) の背景は、彼女自身の言葉に拠れば、自分の墓石を表現したものである。それゆえ死のイメージに照準を合わせたこの作品の解説も多いが、私は逆に死を背景として浮かび上がっている生のイメージに心が惹かれる。自画像に描かれた顔は頬紅や鮮やかな口紅に彩られ、誇り高く凛とした表情が印象的である。

 子供の表情は生命力の象徴である。ブルターニュ滞在中に描いた『妹に食事を与える少年』(1881年) などはいくら観ていても飽きない。貧しい身なりの兄妹である。6歳ぐらいの兄が3歳ぐらいの妹に粗末な食事を匙ですくって食べさせようとしている。兄、妹それぞれの表情がたまらない。どうかこの子たちの前途につらいことがありませんように、と祈らずにはいられない(19世紀の子供たちだから、もうとっくにこの世を卒業しただろうが)。

 下着姿の幼子(後ろ姿)をひざまずいて抱きしめる若い母親を描いた『母と子』(1886年) からは命の温もりが伝わってくる。

 そして圧巻は『快復期』(1888年) である。フィンランドの国民から特に愛されている作品だそうだ。病に臥せっていた女の子が、だんだん回復してきて退屈さに我慢できずにベッドから抜け出したのか、寝癖のついたぼさぼさ頭のままシーツにくるまった小さな体で大きな籐椅子にちょこんと坐って、コップに挿してある小枝を手に取り、緑の新芽を見つめている、という場面を描いた絵だ。病から回復しつつある女の子と緑の新芽の取り合わせ、もちろん画家は命の力を賛美しているのだ。

 『快復期』を描いたときのシャルフベックが個人的にどのような苦悩を抱えていたかというような事情を一切知らずとも、鑑賞者はこの絵それ自体に感動する。個別的事情を持った画家の心の底から広がってくる普遍性というものだ。ここでは彼女のその苦悩についてはあえて書かずにおこう。知りたければ、詳しい解説はネット上でも簡単に見つかる。

 展示の横に添えられていた短い解説文には、たしか、この作品はシャルフベックの「精神的自画像」だと書いてあったように記憶する。会場の展示作品全体を見渡しても、彼女は他者をモデルとしながら(『快復期』の少女もモデルが実在した)、そこに自分を投影しているような絵が何点かあった。後で述べる『ロマの女』もそうである。

 なお『快復期』が描かれた頃のフィンランドでは、帝政ロシアの圧政下でナショナリズムの気分が昂揚していた。人々の愛国心を高めたシベリウス交響詩フィンランディア』が作曲されたのは1899年である。勇壮な愛国心が称えられていた時期に、病気の子供を描いてどうするのか、というような一部の酷評もあったそうだ(日経新聞5月17日の記事に拠る)。私はこの時代のフィンランドの人々のナショナリズムには敬意を惜しまないし、シベリウスも好きな作曲家の一人であるが、繊細さに蔑視の目を向けるような「強さ」を主張する人はいつの時代にあっても尊敬できない。

 『快復期』は病気の子供を描いたか弱い作品ではなく、苦悩の中にあっても命を称える強靭な精神が生み出した作品だ。

 シャルフベックの生涯は、幼い頃から老年期にいたるまで苦悩の連続である。その過程で、それぞれの年齢期に応じた自画像をたくさん残した。自己愛の表現でもなく、まして自己憐憫でもなく、己を客観視する冷徹な画家の目で捉えた自画像である。そのうちのひとつ『黒い背景の自画像』については上に述べた。

 私はこれらの自画像群を観ていると、若い頃に読んで強く感銘を受けた江藤淳の講演録『考えるよろこび』(1968年)を思い出した。その講演で江藤は、ソポクレスの戯曲『オイディプウス』、ソクラテスの後半生、19世紀アメリカのほとんど無名の政治家エドマンド・ロスの三つを例にあげて、「自分というものの正体を見きわめ、それを自分たらしめているなにかの実在をたしかめる」ことから「考えるよろこび」「知るよろこび」が生まれるのだと語っている。『オイディプウス』の悲劇を例示しているところでは、江藤は、自分を正視することの難しさと正視する勇気について語っている。

 シャルフベックは勇気をもって自分を正視したのだなあ、と感じ入った次第である。

 しかしそのシャルフベックといえども、自分を冷静に正視し得なかった自画像が一つだけある。自画像というよりも自傷像というべきか。『未完成の自画像』(1921年) である。

 これについては彼女の個人的事情を書かないわけにはいかない。

 シャルフベックは52歳のときに、33歳の画家(の卵?)エイナル・ロイターと知り合う。ロイターが尊敬するシャルフベックを訪ねてきたのだ。2人は意気投合し、芸術論を交し、共にさまざまな活動を行なう。2人の友情が深まっていくなかで、シャルフベックの心にはロイターへの恋が芽生える。ロイターの方では、シャルフベックへの友情と尊敬があるだけである。シャルフベックは19歳年下の青年への恋はかなわぬものと分かりつつも、57歳の夏にロイターが別の女性と婚約をしたことを知って、その心は寂寥と悲嘆のどん底に落ち込んでしまう。(ロイターは生涯シャルフベックへの尊敬と友情を持ち続け、彼女の作品を世界に紹介した)

 その頃に描いた『ロマの女』(1919年)は、ジプシーの女性をモデルとしているが、あきらかに自分の苦悩を投影している。女は両腕で頭を抱え込んでいる。肩から二の腕にかけての肉付きが豊満でエロチックである。シャルフベック自身の説明文に拠れば、「一人の子供のような存在の彼女は、自分にとって一番大切な人を誰かにとられたとき、大きな声で泣くのです」(ロイターへの手紙)ということである。

 その2年後に描かれたのが上記の『未完成の自画像』である。制作途中で放棄しようとしたのだろう、目を刃物で大きく傷つけている。唇だけが紅い。痛々しくて見ていられない絵である。その頃彼女が知人に送った手紙には「自分を見ることは決して楽しいことではありません」と書かれている。

 酷な言い方になるが、失恋とて命の輝きである。シャルフベックは苦難に満ちた生を引き受けながら83歳の天寿を全うし、最晩年まで創作意欲を持ち続けた。繊細で強靭な精神を持った画家だった。そして幸福な生であったことはいうまでもない。

 晩年の自画像は死の世界に溶け込んでいくような印象をもたらす。

 絶頂期に描かれた『黒い背景の自画像』(前記)が死のイメージを背景に置いていたように、十代の作品が死をモチーフにしていたように、暗黒の宇宙の中でのひとときの生を描いた展覧会であったなあと、後ろ髪をひかれる思いで会場を後にした。(了)

 

【欄外】

 「ジプシー」という言葉は今は差別語として忌避され、「ロマ」と言い換えられている。ジプシーは多民族であって、ジプシーかならずしもロマ族とはかぎらないという問題はさておくとしても、1919年時点での作品の題名は当然そのときの時代性を反映した固有名詞であるので、『ロマの女』という邦題はいかがなものかと思う。フィンランド語の原題は知らないが、英語での題名表記は『The Gipsy Woman』となっている。

 日本各地で今上映されているポーランド映画『パブーシャの黒い瞳』の日本語字幕は「ジプシー」という表記で一貫している。配給会社のまっとうな見識である。