日居月諸

書き手:吉田勇蔵          ブログ「月下独酌」もご高読賜りたく http://y-tamarisk.hatenablog.com/  twitter@y_tamarisk

煽る政治屋たち

 安保関連法案が施行されると徴兵制への道を開くというデマが、にわかに声高に叫ばれるようになってきた。以前から片隅でぶつぶつと同じようなことを言っている人たちはいたが、大通りに出てきたのはここ1週間余りのことだ。

 民主党の首脳部がどうやら、「徴兵制反対」をスローガンとすることに決めたようだ。

 先陣をきって岡田克也代表が6月17日の党首討論で、「将来、徴兵制が敷かれるんじゃないかという議論がある」などと、発言の責任を他者に預けるような卑怯な言い方で突撃ラッパを吹いた。

 これを受けて寺田学衆議院議員が19日の衆院平和安全法制特別委員会で自身の1歳の長男をだしにして、妻の「徴兵制への心配」を発言のなかに織り込んだ。

 細野豪志政調会長は21日のブログで「徴兵制について考える」という文章をものした。

 枝野幸男幹事長は仙台の街頭演説で「次は徴兵制ですよ、みなさん」とアジり(21日朝日新聞)、24日の記者会見で同趣旨の発言を行なった。

 党として足並みを揃えて「徴兵制反対」をアジる方針に舵をきったのはまちがいないだろう。

 徴兵制への危惧なるものが非現実的な妄想にすぎないことは、多くの識者が繰り返し指摘していることである。まして現在審議中の法案とは何の関係もない。ここでは民主党の主張(?)の誤りについて論じるつもりはない。「徴兵制反対」のスローガンの誤りについて、まともに反論してもあまり意味があることと思えない。なぜなら、彼ら自身がこのスローガンを本気で信じているとも思えないからだ。彼らは大衆を煽る便利なキャッチフレーズを見つけて、それを弄んでいるだけである。大衆を馬鹿にしているのだ。馬鹿にされるほうも相当に悪い。

 民主主義が健全に機能しているのなら、この法案審議は、日本の外交と国防政策を考える絶好の機会となり得たはずだ。そこで異なる意見がぶつかり合って、法案への賛否を含めて激論が戦わされているのなら、その議論を国民大衆にものを考える資として供することができたはずだ。

 ところが政府は世論の反発に及び腰で、野党は愚民の劣情に便乗しそれを煽る行動しかとっていない。

 政府は単にホルムズ海峡で生じるかもしれないリスクを一例として提示するだけでなく、シーレーン全体を通じて置かれている日本の地政学上のリスクをなぜ明言しないのか。そして南シナ海東シナ海朝鮮半島をめぐる国際状況を国民に訴え、中国の軍事的台頭とアメリカの後退という21世紀前半の危機的状況を踏まえ、それに対処しようとしても憲法9条が足枷となっていることをなぜ率直に訴えないのか。政府はもちろん憲法を遵守する義務を負うものであり、その制約下でぎりぎり為し得る安全保障策がこの法案なのだということ真摯に国民に訴えればよいではないか。

 政府が率直に語れば、当然偏向メディアに誘導された世論の反発が大きいだろう。いいではないか。愚民がすべてではない。分かる者は分かる。分かろうとする者もいる。それで長期政権の望みが潰えてもいいではないか。後に残る種子がある。

 

 公への責任感を持たない政治屋やジャーナリストが子供をだしにして愚民を煽ろうとする光景はまことに醜悪である。上記の寺田学は委員会質問の中で「この子が将来徴兵制にとられるのではないかと怖い」という妻の言葉を引用した。細野豪志はブログの中で「深夜であったが、娘にこの問題を話したところ、食いついてきた。2060年は我々にとって未来だが、彼女たちにとっては現実だ」と書いた。某ジャーナリストは国会前のデモで「WAR IS OVER!  IF YOU WANT IT」と書かれたプラカードを両手で抱えている幼な子の写真を掲げて「幼な心にも不安を感じたのだろうか。プラカードを手放そうとしなかった」などと書く。見ていて胃がでんぐりがえりそうになる。卑しい奴らだ。

 古今東西、文学、美術、音楽等の分野で子供を描いた作品は多い。そこに込められた芸術家たちの子供への尊敬の心に少しは思いをめぐらせてみよ。子供は卑しく利用されていい存在ではない。