日居月諸

書き手:吉田勇蔵          ブログ「月下独酌」もご高読賜りたく http://y-tamarisk.hatenablog.com/  twitter@y_tamarisk

白日夢

 暑いときも寒いときも、土砂降りの雨や大雪が降らない限り、私は日に二度の中長距離散歩を日課としている。不動産鑑定の仕事をしていた頃も、車を役所の駐車場に置いたまま、調査地点まで少々の距離があっても、時間の許す範囲で歩いて往復したものだ。
 昔から哲学者はよく歩いたという。カント、ルソー、古くはアリストテレス・・・ 京都には「哲学の道」と呼ばれる小径がある。西田幾太郎やその弟子たちが歩きながら思索を重ねた散策路である。
 あるいはアップルの創業者故スティーヴ・ジョブズ氏は、考えをまとめたいときにはよく道路や公園を散策したという。
 私にはこれがよく分からない。歩きながらものを考えるなんてことは、私にとっては、踊りながらざる蕎麦を食べるのと同じぐらいの難題である。歩行に合わせて脳が揺れ動いているのに、どうしてじっくりとものを考えることができるのだろう。
 村上春樹氏など走りながらものを考えているようである。異常である。暴挙というしかない。
 私の場合は、歩行の振動に合わせて、脳にとりとめもない些事が脈略なく次から次へと浮かんでは消えていくのみである。タイミング悪くお巡りさんに出くわすと、「あなたは今エッチなことを考えていましたね。現行犯で逮捕します」ということにもなりかねないのだ。

 

 二週間ほど前のことである。残暑の厳しい日だった。歩く私の横を白いプリウスが静かに通り過ぎた。「アベ政治を許さない」というポスターが、リアウインドウに内側から貼り付けてあった。金子兜太氏の書だ。澤地久枝氏の呼びかけで全国に普及したポスターである。澤地氏のサイトでダウンロードすれば簡単に入手できる。
 プリウスは交差点の前で停止した。私も横に並んで立ち止まった。車内には一人だけ、柔和な顔つきのおっさんがハンドルに手を乗せていた。見知らぬおっさんだ。幸い知人ではなかったので、どのような人物像を思い描こうと私の妄想のままである。
 安倍政治に対してそれなりの見識を持って批判する人はいい。私も安倍内閣の政策について批判をいくつか持っている。だがこんな流行りのポスターを車のリアウインドウに得意げに掲げている輩にろくな奴はいない。妄想は暴走する。窓越しにおっさんの横顔を見つめながら、「おまえ脳を使うことがあるのか。どうせ持ち腐れにしているのだろう」と心の中で毒づいておいた。
 やがてプリウスは交差点を右折し、私は直進した。炎天下をしばらく歩いて緩やかな上り坂に差しかかると、陽炎が揺らめくなか、前方からさっきの柔和なおっさんが「アベ政治を許さない」のポスターを掲げながら歩いて来るではないか。隣にはお仲間の丸顔のおばさんが同じポスターを掲げて歩調を合わせている。二人とも薄笑いを浮かべている。薄笑いが顔に貼りついたままで、表情は変化しない。
 私は一瞬目をつぶってしまった。目を開くとおっさんとおばさんは二組の四人に増えていた。また目をつぶって、次に開くと四組八人に増殖し、次第に十六人、三十二人・・・ 加速度がついて増えていく。

 おっさんどうし、おばさんどうしは皆同じ顔で、完璧なコピーだ。「アベ政治を許さない」のポスターを胸の前に掲げ、薄笑いを顔に貼りつけている。私は子供の頃に小泉八雲の怪談『むじな』を読んで味わった恐怖感を思い出していた。『むじな』はのっぺらぼうとの遭遇譚である。
 おっさん、おばさんたちと私は交錯した。私は何とか群衆を掻き分けて坂を上っていたのだが、幾万人にも膨れ上がってしまった大群の流れに逆らい続けることはできず、ついに彼らの行進に呑み込まれ、不本意ながら私も坂を下って行くことになってしまった。

 

 ポスターをリアウインドウに掲げたプリウスに遭遇し、交差点で別れたところまでは事実の記録である。そのあとは、歩行に合わせた脳の振動が紡ぎ出した妄想である。幸いお巡りさんに出くわすことはなかった。

 この白日夢がきっかけとなり、拙ブログ『月下独酌』に『平和安全法制をめぐる大衆世論の危うさ』と題した文章をしたためた。ご高読いただければ幸甚である。

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